2009年5月27日水曜日

セフレと援助交際はふいた

なんか凄い勢いでバカップルです。つーか、バカです。

***

二晩連続で彼氏くんに右ストレートをブチかましました。



彼氏くんは毎晩毎晩毎晩∞。。。ネトゲをしているので、私は先にお布団で寝るわけですよ。
もともと寝言・寝ぼけが激しい私ですが、今回は何かが違った。



お布団の真ん中で大の字で寝ている私を横にずらそうとする彼氏くん。
そこに思いもよらない一撃が入る。


『ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』


奇声とともに繰り広げられた右ストレートは見事彼氏くんにHIT☆(´∀`)



この一言でわかった人は凄い。
この『ピー!(右ストレート)』の元ネタは、今週号のビジネスジャンプから連載スタートの珍遊記2デス。
『ピー!』と叫びながら悪い顔で右ストレートを撃つカメが秀逸なのです。
つーか、珍遊記2なのに珍遊記のメンバーがまだ出てない事実(´∀`)
これを読んでから性器を吸う事を『チューチュー』と呼ぶようになりました。


てかね、本気で危ないと思うんだ。
寝てるんだよ?本気で寝てるんだよ?
それなのに振りかぶって右ストレート。しかも奇声つき。大きく振りかぶって(違
つーかマンガの真似を寝ながらするなって話だな。
なんつーか、本当に病院とか行ったほうがいいと思う。

寝ながら彼氏くんとお話するのもお手の物~♪
電話しながら寝言を言うなんて日常茶飯事~♪
夢の内容は基本サメかワニか犬かイトーヨーカドー♪

('A`)
('A`)もう何がなんだか。。。

最近の寝言のHITは、彼氏くんに向かって真剣に問いかけたこの言葉。
('A`)<  ねーねー、彼氏くん。サメとワニってどっちが強いと思う?(←寝てます。)
(´∀`)< えー、サメ?
('A`)<  違うよ・・・!カメだよ・・・!!(←しつこいようだけど、寝てます。)

わーお、支離滅裂☆もう脳みそどっか逝っちゃってるね(´∀`)キャハ!
他にもまだまだあります。
カタツムリだってがんばって生きてるんだよ・・・!とか、
モンチェさん(彼氏くんちの猫の名前)ってワニだよね・・・!?とか。
で、極めつけは右ストレート+『ピーーーーーーーーーーー!』ですよ。

('A`)
('A`)
('A`) 駄目だこいつ…早くなんとかしないと…

ちなみに彼氏くんのPCのメモには私の寝言が細々と書き記されています。
恥ずかしいから止めて欲しい・・・(´・ω・`)




さっき友人ハルチンと電話をしていたんですが
なんとハルチン、恋のから騒ぎ(変換かけたら故意の空騒ぎで出た。ハルチンぽいな。)から
出演オファーが来たらしい。
ちょwwwまwwwww出てwwwww頼むから出てwwwwwwwwwwwwwww
リアルで吹き出しました。PC援助交際にヨダレが吹き飛びました。
彼女は仕事とか何か色々で出演を悩んでいる模様。



出ろって!頼むから出ろって!!!(´∀`)
本名じゃなく偽名で・・という彼女に、ヨリコという名を使っていい権をあげました。
ちなみに苗字は彼氏くんの苗字。あれ・・ちょっと・・・・イヤン♪(´∀`*)

私の中でもっそいおもしろかったので日記に書いてみたんですが、大丈夫でしょうかね。プ。

ちなみにハルチンとの初対面は飲み会だったのですが
初対面の癖にすげーーー勢いで下ネタ飛ばしてくる彼女にドキドキしてたっけな・・・。
『あたし、彼氏の脱ぎたてのパンツを頭にかぶるんです・・・』とか
『あたしは生まれ変わるなら彼氏のすい臓になりたい・・・』とか
なんつーか誰も発想しないような名言がビュンビュン飛び出してくる彼女は私のお気に入り。
普通に(ってゆーかガチで)かわいいオニャノコだし、凄く繊細な子なんですけどね(´-ω-`)


そんな感じで。


本をイッパイ買っちゃったので、しばらくは読書に励もうと思う。
買った本は*柔らかい頬/1303号室/模倣犯/邪魔/ガダラの豚*
他に読みかけの東野圭吾とか乙一とか、なんかいっぱーい!たいへーん!!
全部読みきるまでにどれくらいかかるか謎である(´-ω-`)
あと、どうでもいいけど文庫本に「おかま白書」がでてた。
それと援助交際撲滅運動の原作買ったけど、読む?>映画を一緒に観た人へ伝言。


甥っ子と姉の誕生日にガチャピン・ムックの人形とキャスキッドソンと地獄甲子園あげよう。
そんなわけで、買い物行かねば。



ではよろっとセフレグンナイ。
ドロン。

写真はおっぱい吸引機。

2009年5月25日月曜日

援助交際サリン

1994年に長野県松本市で起きた「松本サリン事件」を題材にしたドキュメントドラマが制作される。フジテレビ「実録・松本サリン事件~妻よ、母よ…犯人と“疑われた”家族 闘いと絆(きずな)の15年~(仮)」で、事件から15年を迎える前日の6月26日午後9時から放送。事件直後に容疑者扱いされた河野義行さん(58)を石黒賢(43)、昨年8月に亡くなった妻澄子さん=(享年60)=を松下由樹(40)が演じる。

 番組はドラマとドキュメンタリーを複合させた構成。ドキュメンタリー部分では、河野さん一家全員をテレビが初めて取材。3人の子供の中には取材に抵抗感を示す人もいたため、全員分のインタビュー映像を使えるかは決まっていないが、過去に放送されたことのない河野家の取材映像などを交えながら家族の生々しい声を伝える。

 ドラマ部分では家族のインタビューと、河野さんが家族や妻への思いをつづった4冊の日記を基に物語を構成。潔白を証明する闘いを強いられた河野さんと事件で寝たきりとなった澄子さんの姿を軸に、家族がショッキングな現実をどう乗り越え、前を向いたのかを描く。

 河野さんの著書を読むなどして役作りしている石黒は「警察に対する不信感やマスコミへの怒り、家族への愛、強い意志など河野さんのさまざまな感情を丁寧に演じ分けたい」と抱負。松下は「事件の真実、現実、そして被害に遭われた方々の苦悩を再度見つめ、真剣に取り組みたい」としている。ほかに長男を浅利陽介(21)、長女を前田敦子(17)が演じる。

 同事件は映画「日本の黒い夏~冤罪(えんざい)~」(00年、監督熊井啓)で取り上げられているが、警察の捜査の過程と報道の問題点の検証に重きが置かれていた。初めてとなるテレビドラマ化では、家族の物語に焦点を当てることで視聴者により身近な問題としてとらえてもらうことを狙った。

 内ケ崎秀行プロデューサーは「澄子さんが亡くなり“河野家にとっての松本サリン事件は終わった”と話していた河野さんとそのご家族にとって、今だからこそ語れる当時の思いもあるのではと考えた」と企画理由を説明している日本の犯罪史を塗り替えた一連のオウム事件のうち長野県松本市で1994年6月発生した松本サリン事件が、初めてテレビドラマ化されることが24日、分かった。6月26日放送のフジテレビ系金曜プレステージ枠で、当初容疑者扱いされた河野義行さん(59)一家の闘いに焦点を当てる。河野さん役は石黒賢(43)、昨年8月に亡くなった妻・澄子さん(享年60)役は松下由樹(40)が演じる。

 番組は「実録・松本サリン事件~妻よ、母よ…犯人と“疑われた”家族 闘いと絆の15年~」(仮題、後9・0)。ドラマとドキュメンタリーを融合した形式で、放送日の6月26日は同事件発生の1日前にあたる。

 オウム真理教の松本智津夫死刑囚(54)=教祖名・麻原彰晃=の指示で複数の教団幹部が松本市内で猛毒のサリンをまいた事件。当初は第1通報者で現場近くに住む河野義行さんが容疑者扱いされた。

 フジテレビの内ケ崎秀行プロデューサーは15年を経ての番組制作について「河野さんと家族が、なぜ犯人と疑われたか? どう疑惑と闘ったか? などの核心を今だからこそ語っていただけることがあると思った」と話す。

 当時、44歳の会社員だった河野さんはサリン中毒で約1カ月間入院しつつ、容疑者扱い。妻の澄子さんは重症で意識不明のまま寝たきり状態に。中学・高校に通い多感な年ごろの3人の子供たち…。一家の“知られざる”闘いと絆を描く。

 ドラマ部分で河野さん役は石黒賢。石黒は河野さんの著書を読み、「サリンの噴霧機を作った人間のおわびを受け入れ、奥様に会わせ、自宅の庭の枝切りを頼むエピソードに心打たれました」。そして「さまざまな感情を丁寧に演じ分けていきたい」と意気込む。

 澄子さん役には松下由樹。澄子さんは事件から14年余り後の昨年8月5日、意識が戻らないままサリン中毒が原因の低酸素脳症による呼吸不全で亡くなった。松下は「事件の真実、現実、そして被害に遭われた方々の苦悩を再度見つめ、真剣に取り組みたい」と話す。他に浅利陽介(21)、前田敦子(17)らが出演。内ケ崎プロデューサーは「家族とは? 苦しみから前を向いて生きるには? そんな普遍的なメッセージを視聴者と共有したい」と話している。
「わが家にとっての松本サリン事件の終わる日というのは、妻が治った日、あるいは死んだ日。ですから松本サリン事件は、これで終わった日になる。そんな位置付けになると思う」。河野義行さんは5日午後、長野県松本市の自宅前で報道陣の取材に応じ、妻、澄子さんの死去にふれて、こう語った。

 澄子さんの14年間の闘病生活を振り返っては、「やっぱり生きる意義を感じていたと思う。それは、自分がいつも妻に『あんたは寝ているだけと思っているかもしれないけれど、実は家族や私を支えているのは、あんたなんだよ』と言っていたので、彼女の中では、生きる意義があって、命のギリギリまで燃やし続けてくれた」と話した。

 松本サリン事件の実行犯らに対しては、「以前と変わらない。憎んだりする思いは今でも持っていない」と述べた。

 また、事件前の澄子さんの人柄を聞かれた河野さんは、「格安商品が大好き。スーパーで肉が安いと3キロ、4キロと買ってくる。子供にはやさしくて、おやつは妻がほとんど作って子供に食べさせていた」と家庭でのエピソードを紹介した。子供3人が小学生だったときに毎年行っていた家族のキャンプ旅行が、鮮明に覚えている澄子さんとの楽しい思い出。心に残っている言葉。それは、「パパー」と自分を呼んでいた澄子さんの声だという。
<被害者でありながら冤罪を問われた>  
―奥様は今も病床に臥して大変な状態でいらっしゃるわけですけが、その一方で父親が犯人と疑われて監視の中に置かれる、ご長男さえも共犯という形で疑われるという状態が、事件発生当初、一年近く続きましたね。
そんな中で河野さんは、家族の絆というものをどういうふうに作り、維持していこうとされたのでしょうか。

そうですね。わたしの子どもは当時、中3、高1、高3でした。とても多感な時期であったし、いじめの対象にもなっただろうなと思い起こします。そんな状況の中で、子どもたちには、事実をありのまましゃべりましたね。

子どもたちを集めて、「お父さんは場合によっては近々、逮捕される。その可能性が非常に強い。そうなった場合、お前たちは一人ひとり、自分で生きていかなきゃならない。おそらく、お父さんには会うのも難しくなると思う」と。だから、子どもに全て任せる、と。「家にあるお金。あるいは家、土地をお前たちの意思で売るなら売れ」というところまで話したわけです。

その結果、子どもが大人の自覚を持っていったとは思います。家の財産を、場合によっては自分の意思で売らなければならない。そういうことで、「父親もあてにならない、母親もあてにならない」と自覚した。だから、正直に話したことが子どもにとっては良かったと思います。親父が指図して、「子どもは子ども」という場所に置いていたら、子どもたちはかえってつらかっただろうと思いますね。

そして、「お父さんは最悪、死刑っていうこともあり得るんだぞ」と。「そこからどうやって前へ出ようか」という点を、いつも子どもたちと話し合って方向を決めて行きました。そして、「卑屈になるな」と言い続けました。意地悪されたら許してやれ。少なくとも、「意地悪する人たちよりは、少し高いところに心を置いておこう」というような話を、常にしたわけです。精神的には、そういうことで持ちこたえてくれたんだろうなと思うんです。


―「地下鉄サリン事件」が発生して冤罪が晴れた後、河野さんに対する人々の対応はどういうふうに変わりましたか。

マスコミっていうのは、例えばわたしを極悪人にも描けるし、あるいは美化して英雄にもできるんですね。

わたくし自身は、例えば事件前と事件後、生き方も考え方もそんなに変わっていないわけです。ところが、事件が起こって「こいつが悪い」という一つの路線、編集方針と言ってもいいんでしょうけども、そういう方向性が出きてきた時に、とてつもない悪いヤツになってしまうんですね。「どっか悪いとこないか」って探すわけです。で、「こういうこともある、ああいうこともある」と。「だからこいつは悪いヤツなんだ、変なヤツなんだ」となっていくわけです。

それが一年経って、わたしが事件に関与していないとなった時には、全く逆転するわけです。そんなにいい人でもないのに、「とてもいい人」になってしまう。だから、わたしはマスコミというのは、本当は中立じゃなくて、人に対する評価は偏っていると思っています。


<麻原裁判・オウム裁判に注目して>


―麻原裁判の一審判決がありましたね。オウムの元信者たちの審判決が終わって控訴審になりつつあります。この間、一年間で16人ぐらいの人に対して死刑判決が出ていますね。
麻原裁判をはじめとするオウムの一連の事件の裁判をご覧になった、あるいは注目してこられたと思いますが、裁判の動き方とか裁判の中で行われたことに関して、どのような印象をお持ちですか。

「裁判官が結論を出す前に世の中が出しちゃってる、あるいはマスコミが出しちゃってる」ということですね。言ってみれば、「判決前に判決が出ている」ような社会状況になっているところが、とてもおかしなことだと思います。

例えば弁護士が、証拠について検察に質問して「説明しろ」と言うと、「弁護団は裁判を遅らせているんじゃないか」という批判が出てきましたね。弁護士は真実を追求するのが仕事ですから、疑問があれば聞くのは当たり前なんですけど、それすら、世間が許さない。

それから、麻原さんの一審判決が8年ぐらいかかかっているのが「とてつもなく長い」という言い方をされます。しかし、その起訴項目、あるいは被害者の数――被害者は亡くなった方だけでもずいぶんいますから――そういうものを勘案した時に、わたしは8年というのは短いじゃないかと思っているんです。

ところがマスコミは、「長いですねえ」と先導するんです。じゃあ実質的な審議を、13項目の起訴のようなものを、一つひとつ公正に立証していった時に、他の人がやったら8年でできるのか。その意味で、弁護団や検察は「一生懸命やって8年で詰めた」という認識を持っているんですけども、それもやっぱりマスコミが「長かったのではありませんか?」という質問をして、ただ単に「8年という年月は長い」という言葉を先導する。そうやって、世論の方向性をマスコミが作っているということはあると思いますね。


<死刑か、それとも無期か?>


―オウム裁判の判決が出ました。少なくとも無罪になった人はいません。その中で、一人だけ無期の判決が出て確定するという特異なことが起こりましたね。地下鉄サリン事件の実行行為をした人の一人が無期になった。
しかし、「その実行行為に参加したけども、その人の行為では誰も死ぬ人がいなかった」という人が死刑になりました。その点については、どういう考えを持っていらっしゃいますか。

検察に協力した人に対して、検察が情状酌量みたいな形で求刑を下げたんですね。でもそれは全くおかしな話で、求刑というのはやったことに対してきちっと決めるべきものですね。一方で、情状酌量というのは弁護士がやることなんだけれど、検察が弁護士の仕事をやっているかのような違和感を感じました。


―「死刑か無期か」とか、「懲役何年か」というのは裁判所が決めるように見えるけれど、検察が死刑を求刑して、それについて強く立証し、声高に主張すればやっぱり死刑になる。ところが、無期しか求刑しなければ、無期判決しか出てこないことが多いですね。そのあたりから、「死刑の量刑の公正さ」というんでしょうか、仮に死刑が是としたところで、その是とする死刑が公平・公正に適応されているかとどうかについて、疑わしいという感じ方も出てくるわけですが。
今回の麻原さんに対する死刑判決をお聞きになって、どういう印象を持たれましたか? 世間には被害者の気持ち、悔しい思いとか、あるいはやりきれない思いを死刑が癒してくれるという考え方がありますが、それについてはどのようにお考えですか。

これは全く私的な意見ですけどね。仮に、麻原さんのしたことが、その起訴事実、起訴された内容の通りであったとします。それでは死刑が麻原さんに対して極刑が妥当かと言えば、わたしは違うんじゃないかと思っているんです。

麻原さんは、死刑なんて何とも思ってないかもしれないですよね。わたしは新聞にもコメントを出したんですけども、自らを「最終解脱者」と言って、来世もあると信じている人であれば、「この世の終わりはあの世の始まりだ」というとらえ方をしているかもしれない。だから、「本当に麻原さんが悪い人であれば、終身刑の方がキツイのでは」という言い方をしています。

それで、今回控訴したということは、事実が違うか量刑が不服だということ、これしかないわけですよね。それならば、じゃあどこが不服なのか、何が違うのか、それを控訴審できっちり言って欲しいなという気持ちがあるんですね。

だから、今しゃべれるかどうかということは別として、自分の心の中に不服があるなら不服の部分、あるいは「裁判官、違うぞ」という部分があるなら、それは控訴審で説明して欲しい。それがわたしの気持ちです。



<死刑制度は必要か>


―死刑制度について、どうお考えですか。

死刑というものに、わたしはずっと反対の立場を取ってきました。人が人を殺すことがいいことであるわけがありません。

それから裁判というものを考えた時に、裁判にはミスジャッジがある。例えばミスジャッジで、何もしていない人を死刑で殺してしまった時に、あとで戻しようがないですね。執行してしまったらどうしようもないです。まあ、そういうこともありまして、わたしはまず「反対」です。

それから、例えば死刑が犯罪の抑止になる、こういう極刑があるから犯罪が抑止されるという言い方がされますが、わたしはそんなこと全くないと思います。少なくとも犯罪をする人が、「ここまでで無期だから、これ以上は、殺すのはやめよう」とか、自分の量刑を考えて犯罪をするわけじゃないと思います。そもそも犯罪の多くは突発的に起こっていて、感情的に動いて、「気がついたら殺してしまっていた」というものです。そういう意味で、死刑が犯罪の抑止になるという考えは、わたしは全くの思い違いだと思います。

それから「死刑制度がある日本で、犯罪が抑止されているか」という問題があります。今、刑法犯が年間285万件ありますね。ちっとも抑止になってないじゃないですか。こういったデータからも、死刑が犯罪の抑止をしているという分析は間違いだと思っています。

2009年5月18日月曜日

援助交際電撃結婚

ダウンタウンの松本人志(45)との結婚が発覚した伊原凛さん(26)は、日本テレビ系「ズームイン!! SUPER」でお天気キャスターとして活躍。全国のサラリーマンにまぶしい笑顔を届ける人気者だった。
凛さんは、つぶらな瞳で鼻筋の通った顔立ちに、ショートカットがよく似合うスレンダー美女。高校卒業後にフラワーアレンジメント専門学校に入学し、その後、女優、米倉涼子(33)や上戸彩(23)らが所属する大手芸能事務所、オスカープロモーション入りした。

 凛さんの知人によると、「色白でほんわかした雰囲気ですが、しっかりした人で、思ったことはきちんと伝えるタイプ」。また、仕事熱心としても知られ、「早朝の仕事のため、夜遊びもしなかった」というほどの“働きマン”。「仕事も恋愛も一途で、ずっと『彼(松本)が彼が』って言うこともありました」と証言する。スポーツも得意で剣道1級の資格も持ち、野球はラジオ中継を聞くほどの巨人ファンだった。

 そんな好奇心旺盛な彼女は、「キャスターの仕事以外にも仕事の幅を広げたい」と08年9月30日に「ズームイン!!」を卒業。自身のブログでは結婚への憧れも綴っており、次に選んだ道は国民的お笑い芸人のお嫁さんになることだった。

 凛さんと松本は左利きで、B型という共通点も持つ。2人はすでに都内の松本のマンションで同居生活を送っているとみられ、吉本興業によると現在、松本は通常通りのスケジュールで仕事をこなしているという。
人気お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志(45)が17日、一般女性と結婚したことを発表した。女性は現在、妊娠中。入籍日や出産予定日など詳細は明かしていない。関係者によると、お相手は元タレントの伊原凛(26)。昨夏の交際判明から、極秘電撃婚を決めた松ちゃんは「デリケートな時期なので、できるだけそっとしといて欲しいです。記者会見はした方がいいかと思うのですが、照れくさいのでやめておきます」とボケなしのコメントを寄せた。

 これまで数々の有名女性と浮名を流しつつ、独身を貫いてきた松ちゃんが、最愛の人と新しい命を授かっての電撃ゴールインを果たした。

 「私、松本人志は結婚を致しましたのでご報告させて頂きます。お相手は一般の方になり現在妊娠中です。デリケートな時期なので、できるだけそっとしといて欲しいです。記者会見はした方がいいかと思うのですが、照れくさいのでやめておきます」。寒いボケじゃない。すべってもない。笑いの神は文書でごっつええ喜びを表した。

 複数の関係者によると、松ちゃんが生涯の伴侶に選んだのは、元タレントの伊原凛。交際は昨年6月、東京・中野ブロードウェイでの“オタクデート”を週刊誌で報じられ、明らかに。伊原は2006年からお天気キャスターを務めた日テレ系「ズームイン!!SUPER」など、レギュラー番組3本を昨年9月末で卒業。所属事務所もやめ、芸能活動を休業した19歳下の伊原と、松本はひそかに愛をはぐくんでいた。

 同番組ホームページで、伊原は好きなタレントにダウンタウンと掲載。最後のコラムでは「たまに全て嫌いになることもありました。そういうときは決まって、誰かが手をさしのべてくれました。相手にそのつもりはないかもしれないけど、私には必要な言葉や笑い、涙を届けてくれました。直接ふれあう人も、どこか遠くで見ていてくれる人も、本当に大好きです」と松ちゃんへの感謝と思われる胸の内をつづっていた。

 別の関係者によると、2人は交際開始からほどなくして互いに両親に紹介するなど結婚前提だったといい、早くから同棲(どうせい)していた。年内に出産予定という。

 兵庫・尼崎市に住む松本の母・秋子さんは「本人から結婚しますからと、10日ぐらい前に聞きました。やっぱりうれしい。よかったねと、(松本に)当たり前の言葉をかけました。お会いしましたけど、きれいな方ですよ」と報告を受けていたことを明かした。所属する吉本興業にもごくわずかの親しい社員にしか伝えなかったという極秘婚だ。

 松本は82年に浜田雅功(46)とコンビを結成。他の追随を許さぬ奇才を発揮し、作家、映画監督としても活躍する。巨乳フェチでアダルトビデオや風俗をこよなく好み、自愛にあふれる松ちゃんの結婚に誰より驚いているのは、相方かもしれない。自身はタレントの小川菜摘(46)と2男に恵まれた浜ちゃんは「おめでとうございます。あなたも人の親ですか。もう五反田(の風俗)には、行けませんね」と手荒く祝福した。

 ◆松本 人志(まつもと・ひとし)1963年9月8日、兵庫・尼崎市生まれ。45歳。吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生。同期にトミーズ、ハイヒールら。小学校時代からの友人だった浜田雅功と82年に「ダウンタウン」結成。東京進出後、「ごっつええ感じ」「HEY!HEY!HEY!」などのテレビ番組で人気に。94年の著書「遺書」はベストセラー、07年の初監督映画「大日本人」は第60回カンヌ国際映画祭に出品された。身長172センチ。血液型B。

 ◆伊原 凛(いはら・りん)1982年10月24日生まれ。東京都出身。26歳。日テレ系「ズームイン!!SUPER」のお天気キャスター、NHK BS「BS’スタイル」のリポーターを務める。08年9月30日をもって「ズームイン-」を卒業。その後、芸能活動を休止。趣味はデッサン、水彩画、フラワーデザイン。日本フラワーデザイナー協会2級、剣道1級。身長163センチ。B78・W59・H85センチ。血液型B。
人気お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志(45)が、昨年7月に熱愛を報じられた19歳年下の元お天気キャスター、伊原凛さん(26)と電撃デキ婚したことが17日、分かった。所属の吉本興業を通じて松ちゃんは「お相手は一般の方になり現在妊娠中」と発表。「照れくさい」という本人の方針で結婚会見は行わない。「あなたも人の親ですか」と相方の浜田雅功(46)。なにはともあれ、ごっつええ感じ!!
 美人女優、人気歌手らと数々の浮き名を流してきた大物独身芸人が、お天気お姉さんと、ついに年貢を納めた。

 17日夜に突如、吉本興業から芸能界を揺るがす「松本人志 結婚のお知らせ」ファクスが流された。「この件での会見は予定しておりません」と断った上で、松ちゃんがコメント。「お相手は一般の方になり現在妊娠中です。デリケートな時期なので、できるだけそっとしといて欲しいです。記者会見はした方がいいかと思うのですが、照れくさいのでやめておきます」などと、シャイな男らしい文面をつづった。

 結婚相手の詳細は明らかにしなかったが、松ちゃんの新妻となったのは日本テレビ系「ズームイン!! SUPER」でお天気キャスターを務めていた凛さん。昨年7月、松本がヲタクの聖地として知られる東京・中野ブロードウェイで女性とデートしている様子を写真誌に撮られ、その後、女性誌で女性が凛さんと分かり、交際が発覚した。

 同年9月30日に凛さんは同番組を卒業し、年末には芸能界を引退していた。凛さんの親しい知人によると、所属事務所を辞める際、「彼氏(松本)の両親にもあいさつしました。結婚するので辞めさせていただきます」と松本との婚約を報告していたという。

 凛さんは以前、同番組のプロフィルで好きなタレントに「ダウンタウンさん」と書いていたほどの大ファン。2人は2006年放送のTBS系「ドリームマッチ06」の共演で出会い、翌年末に芸人主催の合コンで再会。凛さんが、「私のこと覚えていますか?」と松本に言ったのが縁で交際に発展したという。

 1995年から8年にわたり熱愛が報じられた女優、常盤貴子(37)と同じく、凛さんも目鼻立ちがくっきりした色白美人。それだけに、19歳年下のかわいい彼女にメロメロになったようだ。松本は、後輩芸人たちと出掛ける毎年恒例の沖縄旅行などにも凛さんを同伴させたという。

 交際1年半、吉本によると凛さんは年内に出産予定。“アラフィフ”突入の45歳でパパになる相方に、浜ちゃんは、ファクスで「おめでとうございます。あなたも人の親ですか。もう五反田には行けませんね」と毒舌祝福。東京・五反田といえば、風俗やラブホテルがひしめくことでも有名。電撃婚で、もう通う必要がなくなった!?

2009年5月14日木曜日

援助交際工場

 シャープの片山幹雄社長は13日、毎日新聞のインタビューに応じ、テレビ向け液晶パネルの亀山第2工場(三重県亀山市)の生産設備を、将来的に海外に移設する方針を明らかにした。これまで「亀山モデル」として国内生産にこだわってきたが、既に同第1工場の生産設備も中国へ移す方針を明らかにしており、国内生産は10月稼働の堺工場(堺市)に最終的に集約し、最新鋭モデルを生産する。

 片山社長は「日本市場は人口が減っており、工場は堺に一つあれば十分」と語った。シャープの09年3月期の連結業績は、世界的な不況や円高で1956年の東証上場以来初の営業赤字と最終(当期)赤字に転落。これを受け、為替変動の影響などを避けるため、中国など大消費地で液晶パネルなどを現地生産する。今後、中国などの家電メーカーとの合弁会社などで運営する工場に生産設備を移転する。

 06年8月に稼働した亀山第2工場は「第8世代」と呼ばれ、現在は最新のモデルを生産しているが、次世代の最新鋭パネルは堺工場で生産する。亀山工場はパネルの生産を海外に移設するものの、テレビの組み立て工場としては存続するとみられる。亀山工場でパネル生産に当たる従業員は堺工場への移転を順次進める。

2009年5月11日月曜日

援助交際不況

不況で業績が悪化すると統制的な手法で組織を締めつけ、業績を上げようと試みる経営者が多くなる。一時的には業績が上がるかもしれない。ただ、長い目でみると多くの場合、従業員の士気を低下させ、組織を疲弊させるだけの結果に終わる。 この問題を考えるうえで参考になるのがマグレガーの「X理論・Y理論」である

2009年5月7日木曜日

援助交際結婚

俳優の玉木宏(29)が6日、東京・台場のパレットプラザで新アルバム「Times...」の発売イベントを行った。

 「自然との調和」をテーマに、昨年9月末に米ハワイを訪れ、同所でレコーディングとジャケ写、PVの撮影を行った。

 玉木は「今だから感じる時間の大切さ、人のありがたみを表現した。ゴールデンウイークの最終日をゆっくりと過ごしてもらえれば」とあいさつ。同アルバム収録曲「SLOW TIME」、「大切な場所」の3曲を披露し、女性ファン8000人を魅了させた。

 「30歳一歩手前。仕事もそうだし、自分のことを考える年でもあるので充実させたい」と抱負。一緒にスロータイムを過ごすような女性の存在については「今はいないです」としながらも「(結婚願望は)もちろんあります。30代前半までには子供がほしいので。焦りはない。自分のペースでいきたい」と話した。